SIerで経験したブルシットジョブのリアル

本屋をぶらついていたら『ブルシット・ジョブ――クソどうでもいい仕事の理論』という本を見つけた。

クソどうでもいい仕事について語られた本らしい。

高校英語の文法書のように分厚い割に翻訳がイマイチだったため、買って読むまではしなかったのだが、「ブルシットジョブ」の定義には共感できた。

曰く、

「ブルシットジョブとは、被雇用者本人でさえ、その存在を正当化しがたいほど、完璧に無意味で、不必要で、有害である仕事である」

…なるほど。

私はSIerに長く勤めてきて、数多くのブルシットジョブを経験してきた。

被雇用者本人である私でさえ、その仕事の存在を正当化するのは困難であった。

完璧に無意味で、不必要で、砂場に穴を掘って埋めるような仕事だった。

そんなSIerのブルシットジョブを振り返ってみたい。

6年前に発生した障害について調査して、是正策を登録する

システム障害に対して、原因を調査し、再発しないように改善策を練り、対応を施すのは大切だ。

日々起こる障害に対して正しく対処していくことで、システムの稼働は安定化する。

しかしながら、「障害への対応をするムーヴ」を目的とすると、無意味な作業が発生してしまう。

私がいた部署では「障害を振り返る会議」みたいなものが行われていた。

そこでは「障害管理システム」のようなシステムに登録された障害について、ものすごく細やかに是正策であったり、改善策であったり、原因などを記録して、

「システムに記録し、是正していることを偉い人に報告する」

のが重要とされていた。

そこで掘り起こされたのが、6年前の障害であった。

障害是正担当者が、前担当者が記録していなかった障害を掘り起こしてきて、

「登録されていないから調査して内容を記載しよう」

と言い始めたのだ。

6年の前の話である。

同じ障害は起こっていないし、システム内のソースコードは大きく変わっている。

しかしながら、「登録されていない項目があること」が問題なので、いちいち調査して記録しなければならないのだ。

この作業に何の意味があるのか?

これこそ、仕事のための仕事ではないか。

何の価値も生み出さないことに無駄な時間を費やすことを強制するブルシットジョブ。

SIerではこのように病的な形式主義で、思考停止で、報告をしっかりするためだけに無駄な作業をやらせようとする愚かな管理職()がたくさんいた。

本人たちは大真面目で、「それが良いシステム開発につながる」と信じているようだった。

私は信じられなかったのだが、少数派だったと思う。私の頭がおかしかったのかもしれない。

アマゾンのレビューも「ブルシットジョブ」の内容を理解するために非常に有用であるため、ところどころ引用する。

・「ブルシット・ジョブ」ってなぁに?
この本の第一章では、まずブルシット・ジョブを定義する。

ブルシット・ジョブとは、「本人でさえ正当化できないくらい完全に無意味・不必要で有害でもある有償の雇用の形態であるが、本人はそうではないと取り繕わなければならないように感じている仕事」である。

ここで、有害な仕事だが本人が自覚的であったり、単に待遇や職場環境が悪いという意味でのクソな仕事は、ブルシット・ジョブには該当しない。

なお、「ブルシット」は、日本ではあまり馴染みはない言葉だが、「でたらめ」、「くだらない」といった「欺瞞」のニュアンスを含む(下品な)スラングだ。この言葉の意味するところを深く論じた本としては、『ウンコな議論(原題はOn Bullshit)』(ハリー・フランクファート)がある。

ブルシット・ジョブは、必要とされてないくせにお給料は良かったりする。ブルシット・ジョブに従事する人は、まさにこの点で苦しむことが多いのだが、これは奇妙な話である。

経済の原則からすれば、働かずにお金がもらえるのは嬉しいことであるはずだ。というか市場原理からすれば、そもそもそんな仕事は生まれないはずだ。

なぜブルシット・ジョブが生まれるのか?そこにはどんな力が働いているのだろうか?

「本人でさえ正当化できないくらい完全に無意味・不必要で有害でもある有償の雇用の形態であるが、本人はそうではないと取り繕わなければならないように感じている仕事」

というのは、まさにSIerの仕事であり、困ったことに給料は高い。

報告資料とレビュー文化

当ブログで何度も書いているから耳タコならぬ「目タコ」かもしれない。

SIerはとにかく資料作りが大好きだ。

一日中会議をしながら資料を作っている。

作った資料は「レビュー」を受けるのだが、某プロジェクトではそのレビューのプロセスが膨大であった。

分業が行き着くところまで行ってしまっているので、レビュワーが部署をまたいで複数人もいた。

複数の部署の誰だかわからない人にレビューをお願いして回るのだ。

また、システムの内容が何もわかっていないおっさん達複数のレビューも通さなければならなかった。

おっさん達は色々とコメントはするが、そのシステム開発に関わっていくわけではない。

責任のない人間の意見ほど無意味なものはない。

自分が作業しないと好き放題言えるし、そのシステムを何も知らない人間に意見を聞いて何の意味があるのだろうか?

パワーポイントを上辺でなでて、彼らの経験からそれらしいアドバイスをするのだが、一度アドバイスをされたら、そのアドバイスにきちんと対応したという証明をしなければならない。

彼らはシステムの中身を知らないもんだから、指摘は結局は「計画」だったり、「体制」などに行き着く。

パワーポイントの内容から色々と口出しできる点を探して、何かを言うのだが、その対応をすることにどれだけの意味があるのだろうか?

関わる人数が多ければ多いほど、また無関係な人が首を突っ込めば突っ込むほど、システム開発の生産性は落ちていく。

そもそも生産性など皆無なのかもしれない。

私が関わったプロジェクトでは、SIerプロパー社員は何も生み出していなかった。

少なくともシステム開発はしていなかった。

ベンダーマネジメントと呼ばれる進捗管理と報告、計画書作りに全ての工数を費やしていた。

報告するための委員会活動

組織が大きくなると、謎の委員会活動が発足する。

日々の業務の1割の時間をイノベーションに使おう!というテイで発足する委員会活動だが、日々の業務は全く減らないので、実質業務は1.1倍になる。

委員会活動は不思議であった。

偉い人に報告して「ヨシ!」と言われるためだけにあるような活動で、その活動が何かにつながっているようには見えなかった。

本気で何かを変えるためではなく、何かを良くするためでもなく、「委員会活動をやりました」と報告するための活動である。

このような「報告するためだけの業務」が大量にあるのもSIerならぬ日系大企業の特徴だ。

言うまでもなく、これは「仕事ごっこ」であり、価値を生み出しているわけではない。

このような仕事ごっこで給料がもらえるのは羨ましい、という人もいるかもしれない。

が、実際に中にいる人間は生気がなく、無意味な仕事をしている人間の目は暗く濁っている。

何より、上がっていく給料に「身に付いている実感があるスキル」が全く比例してついてこないのが問題だ。

働いている人間もそのことには気付いている。

特に20代、30代の人間の危機感は大きい。

「他の会社で通用する専門性を身に付けたい!」

「こんなくだらない業務で大切な人生を“消耗”して、会社にしがみつくしかない人生にはしたくない」

という人は会社を出ていく。

SIerは人材の墓場なのだ。毎年多くの優秀な社員が入社し、何の意味もない作業に膨大な時間を取られ、何も身に付かないまま若さと人材価値を失っていく。

Excelの関数を目視で確認する

SIerのExcel文化は有名だ。

画面のスクリーンショットを延々とExcelに貼り付け、そのExcelは誰も見ないまま、ファイルサーバーに埋もれていく。

不毛なテストが日々繰り返されている。

そんな不毛なテストよりもさらに不毛な作業を行ったことがある。

「プログラムで作ったExcelに関数が定義されていることを、いちいちExcelを開いてセルを確認する」

という仕事だ。

新人のときに、一ヶ月かけて、何の説明もないまま私と同期の4人でやらされた。

どうもExcelファイルの一部に不備があって、問題になったため、新人にファイルの内容を確認させる、みたいな話になったらしいが、説明はなかった。

自動生成された3000個以上のExcelファイルの関数をいちいち開いて確認する。

そんな作業を、新卒で入った社員にさせるのがSIerの文化であった。

「新卒は雑用に使っていい」

と考えているからだ。

もちろん、雑用で使うのは構わないのだが、そんな環境に放り込まれる新卒はかわいそうだ。

私もかわいそうだったと思う。

貴重な若い時間を何の成長もない単純作業で無駄にして、「間違った仕事観」を植え付けられてしまうのだから。

SIerの社員の一部(特に40代以上)は病的に頭が悪いので、「何でも目視」「根性でやるのが正しい」と考えがちだが、無意味な単純作業をやらせるくらいなら

「Excelに特定のセルに関数が含まれているかを確認するプログラムを作る」

みたいな“仕事”を与えるべきだったのだ。

単純作業はプログラムにやらせればいい。

プログラムであれば、人間より早く正確に、中身をチェックできる。

その場しのぎで「やった感」を出すために人間の労力を無駄にする。

「とにかく人間が動くことやったように見せる」のがSIerの文化なのだ。

ちなみに、そのクソみたいな単純作業でチェックされたExcelの9割は誰にも使われていないようだった。

作業をさせた40代の管理職は万死に値する。

しかしながら、会社に入ってしまうと上司は選べない。

どこの会社でもひどい上司はいるが、SIerの場合は性格がひどいわけではない。

一部ゴミクズはいるが、皆、基本的に温厚で、まともな人間であった。

だが彼らはSIerのブルシットジョブ文化に染まり、思考停止してしまっているので、悪気もなく無意味な作業に人間の労力を投入しようとしてしまう。

だからSIerは危険なのだ。

明確な悪意には対処しようがあるが、悪意なき業務依頼には対応しようがない。

真面目に仕事をこなしているが何も生み出さない、回し車の中を駆けるネズミのような仕事に平日の12時間が奪われてしまう。

真面目に頑張って報われるなら救いようがあるが、真面目に頑張るとどんどん疲弊して、それでいて何も世の中を良くしない、誰も幸せにならない。

そういう「やった感を出して報告するための仕事」が地雷のように大量に埋まっているのがSIerの現状である。

言うまでもなく、未来に夢を描く若者は近づいてはいけない。

SIerに埋まっているのは一撃で死ぬような地雷ではないが、君の人材価値を少しずつ吹き飛ばしていく爆弾である。

若者はもっと、意味のある仕事ができる職場で働きなさい。

自分が生きてきた半世紀ほどを振り返ってみるだけで家事も含めた仕事全般は格段に「楽」になり、あらゆる作業にかかる手間と時間は短縮された。

その多くはデジタル技術に追うところが大きいわけだが、そのおかげで早く帰れるようになったとか、週休4日になったという話はいっこうに聞かない。そのぶん仕事の量を増やしていると仮定するとさらにおかしなことがわかる。

仕事が効率化されて生まれた時間に別の仕事を入れれば売り上げが増えて国全体では経済成長率が高まるはずなのに、そうはなっていない。

それは「日本人の生産性が低いから」といわれるが、人間の生産性がかわらなくても技術や機械によって生産性がおのずと高まるわけだから、わざわざ生産性を落とすための「努力」をしない限りここまで生産性は落ちないだろう。

その「努力」にあたるところがブルシット・ジョブの創出と維持なのだ。

ブルシット・ジョブが増えているということと同等かそれ以上に問題なのは、ブルシット・ジョブに対する報酬がエッセンシャル・ジョブに対する報酬を往々にして上回るという点だ。

その背景には金銭的な尺度で測れる「価値」と測れない(がゆえに価値がある)「諸価値」の対立があると著者は指摘する。

つまりは主にエッセンシャルワーカーが担っている「他者に対するケアリング」の仕事の多くは「諸価値」の領域に属するものであり、それを「価値」の領域に取り込む過程で倫理的ねじれ現象がおきる。

「世界に積極的な貢献」をしているという実感を得ること自体が「報酬」であり、そうした実感を感じられず、それどころか自分の仕事が無益で有害ですらあるという認識にさいなまれている人はそれゆえにより高い報酬を受け取ってしかるべきだという感覚が存在しているという。

無意味なオフィスワークの報酬が高いのは精神的苦痛に対する代償というわけだ。

ブルシット・ジョブ クソどうでもいい仕事の理論

メールが使われなくなり、電話が減り、チャットが導入されても、SIerの仕事は減らなかった。

自らが重要な人物だと証明するために、残業を刷るための仕事を作っているからだ。

SIerの人々は驚くべきことに「早く帰れなくなるように」意味のない仕事を作り出している。

ブルシットジョブを創出することで、自分が無価値ではないと、声にならない叫びをあげているのだ。