ペンを持ってノートに何かを書いて勉強する、というのは昔からの定番の勉強法だ。
特に漢字の書き取りなどのためにひたすらノートに漢字を書いていた小学生は多いだろう。
しかし実際のところ、「漢字の書き取り」のように、文字を書けるようになることが目的の勉強は少ない。
・漢字を書く
・アルファベットを覚える
・絵の上達を目指す
みたいな、「書くことそのものが目的である」場合以外は、「書く」という行為は実は効率が悪い。
特に日本史や世界史の勉強をしているときにいちいち単語を書きまくって覚えようとすると、全体の流れが頭に入ってこなくなる。
英語の勉強でもいちいち文章を書き写していたら、いつまで経っても英語を読めるようにはならないだろう。
物を覚えるときは基本、
「読んで理解する」
「覚えたいものだけ声に出して繰り返す」
ようにするべきだ。
1回書く時間で3回音読できるし、5回読める。
私たちの時間は限られているのだから、できる限り無駄は省かなければならない。
なので、「とにかく手を動かして書くべき」という思い込みは捨てた方がいい。
復習こそが要
何かを記憶するには「繰り返し」が必要となる。
どんなに頭が良いと言われている人でも、一回読んだだけで後でアウトプットできるほどに記憶力が良い人はほとんどいないだろう。
それに「一回読んだだけで覚えているように見える人」でも脳内で何度も反芻している可能性は高い。
「頭の中で思い出す」だけでも復習にはなるのだ。
何かを勉強する人には、とにかく復習を大事にしてほしい。
試験勉強の中で「問題を解く」行為は記憶に残りやすいが、それでも5回くらい復習しなければ試験で使える記憶にはならないだろう。
記憶に残りづらい「教科書を読む」行為の場合は10回くらい繰り返すのが望ましい。
普段の何気ない読書でも、3回程度は読まないと頭の中で理解が進まないはずだ。
英語の場合は同じ文章を20回音読することを最低限の目標とするのがいい。
繰り返しこそが私たちを成長させる。
むやみやたらにたくさんの本に手を出すよりも、少数の良書を繰り返した方が残るものは大きい。
アウトプットが大事
どんな勉強でも、教科書を読むだけだったり、音読するだけでは役に立つものにはなりにくい。
というか、ただ勉強するだけだったら趣味でしかない。
私たちは、勉強を何かの形にしてアウトプットしなければならない。
英語であれば英会話してみるとか、英語でブログを書くといい。
知識は実際に使ってみて初めて自分の知恵となる。
プログラミングも同じで、ただ本を読むだけでは意味がない。
ある程度の知識が身に付いたら、自分で何かを作らなければただの自己満足の「お勉強」で終わってしまう。
数学は教科書を読むだけでなく、模試を解こう。
知識はとにかく、何かの形で使わなければ意味がない。
試験勉強をしている場合は試験を解くために知識を使おう。
社会人で勉強している場合は、学んだことをお金に変えるために何かを作ろう。
勉強は大事だが、あくまで手段に過ぎない。
勉強自体を目的にしてはいけない。
大人になっても資格厨なのは痛すぎる
何か学ぶとなると、すぐに資格を取ろうとする人がいる。
そういう人は大学までの受験に脳が支配されすぎている。
資格を取れば人生うまくいくと思っているのかもしれないが、資格が世の中に価値を生み出しているわけではない。
資格は錯覚資産としては使えるが、学んだ知識を使って世の中に価値を生み出すことが大事なのであって、資格を取ること自体を目的にしている人は単なる資格バカだ。こういう人はたいてい、努力している割に貧乏で、でも自分は頑張ってると思っているので始末が悪い。
社会は頑張りなど評価してくれない。
社会に対して何か価値を生み出さなければ、知識などただの趣味に過ぎない。
趣味で楽しむ分には何の問題ないが、資格を取れば成功できると考える大人はアホである。
なお、大学生までは資格でも何でも取って、思いっきり勉強するといい。
社会人になったら知識は何らかの形でアウトプットしなければ意味がない。それは決して資格試験ではない。
人のために役に立つ形にしなければならない。
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