会社にいた仕事をしないおじさん(ただし年収は2000万)の思い出

私が勤めていた某大企業は「実力主義」を謳っていたが、実態は限りなく年功序列に近い実力主義であった。

役職がつくかつかないか

出世するかしないか

という点は「実力」というより「運と見せ方」によって決まっていたが、だからといって全てが年齢関係なく評価されるわけではない。

年を取ると自動的に、実力など関係なしに「上から目線で評価する立場」に押し上げられていく仕様であった。

いま思えば不思議な会社だった。

本人が何もできなくても、

「偉そうに下請けを詰める」

「部下にとにかくハードワークさせる」

「社内のルールを完璧に守る」

「上司にしっかりと報告する」

といった人間が評価されていたように思う。

不思議な会社だった。

私がいたチームには仕事をしないおじさんがいた。

平均年収が高い会社なので、50代社員の年収は間違いなく2000万を超えていた。

読者に覚えておいてもらいたいのは、業務時間中に何も生み出さなくても、「平均年収が高い会社」に入れば、自動的にこれだけの年収が入ってくる点である。

年収は本人の実力など関係ない。

年収が高い会社に入るかどうかが全てだ。

そして日本企業は簡単に従業員を解雇できないので、無能でも年を取れば高年収が維持される。

日本のこんな不思議な雇用形態があと10年続くとは思えないが、少なくとも2000年までに入社した「逃げ切り世代」は勝ち組だろう。

話が本題に進まなくて申し訳ない。

仕事をしないおじさんは、とにかく「自分が責任を持つこと」を嫌っていた。

自分の仕事の範囲ができるだけ狭くなるように、自分が手を動かしたり、考えたりしなくていいように何食わぬ顔で他人に仕事を押し付けていた。

A, B, C, D, E

という業務があったとする。

A, B, C

が私の業務で、

D, E

がおじさんの業務であった。

私が私の業務に集中していたら、おじさんは悪びれもせず、

D, E

の業務の大半を私の仕事ということにしていたのだ。

プロジェクトの計画がなかったかのように、あるいは計画を書き換えたかのように、

「D, Eの状況はどうなっていますか?」

とチャットを投げてくるのである。

守秘義務があるので業務内容については語れないが、私はおじさんの鮮やかな手口に感動した。

仕事をしないおじさんは「仕事をしないこと」に関しては極めて回避能力を持っているということだ。

普通は

「他の人も忙しいし、自分の担当は自分でやらなければいけないだろうな」

と考えるところを、おじさんは一ミリも躊躇しない。

「この仕事はあなたがやってください」

と自分より若い人間に一方的に指示を出して、

若い人間がいない場合は下請け会社の社員に仕事を投げるのである。

一見してサイコパスにも見えるが、おじさんはずーーーーっとそうやって他人に仕事を投げて、でも自分は責任を取らないように会社員生活を送ってきたのだ。

じゃあおじさんは何をやるかというと、会議に顔を出して偉そうに評価しているのだ。

偉そうに評価することで、「仕事をしている感」は出せるからである。

偉そうに評価する立場の人間は楽なのだ。

仕事に責任を持つわけでもなく、成果物に問題があったからといって自分が手を動かして修正するわけでもない。

評価して、何もしない。

それが偉そうなおじさんの仕事の全てである。

ちなみに

「上司が部下に仕事を依頼する」

のは通常会社の業務として当たり前のことで、この話はそういうものではない。

上司が部下に仕事を依頼した場合、仕事の最終責任は上司が負うのが当然である。

「上」と「下」の関係で、実働を部下が担当し、上司が「評価と責任」を担当する。

仕事しないおじさんは、「横」に仕事を投げて、「責任」は取らない。

責任ごと丸投げする。

評価している風に振る舞うが、実際は何もしない。

「進捗はどうなっているんだ」

と聞くだけで、仕事をしている風に見せている。

進捗を聞くだけの楽なお仕事だ。

日系大企業は不思議である。

年を取るだけで、自動的に立場が上がっていく。

転職する人が少なく、転職で入ってくる人も少ないため、

「年次」

を大事にする。

異動したときの自己紹介での定番の質問は、

「何年目の入社なの?」

であった。

当たり前に中途が入ってきて、当たり前に転職する会社ではこんな質問は飛ばない。

「入社○年目だからこの仕事ができて当然だね」

みたいな話もしていたが、いま思うと不思議な文化だ。

入社して何年経とうと、本人の専門性が高まるとは限らない。

「何年目」で評価するのではなく、本人が何ができるのかで評価するのが「普通の会社」だろう。

ジョブ・ディスクリプションともいう。

日系大企業には「ジョブ・ディスクリプション」がない。

職務の内容や役割は年次によって何となく、雰囲気で決められる。

そのため

「この人はこんな専門性を持っていて、だからこんな業務を期待している」

みたいな話は出てこない。

新卒で入社した社員はジェネラリストとして、「社内の標準ルール」を理解するように期待されて、社内のお作法通りに振る舞えるような「能力」を高めていく。

何の専門性もなく、何かができるようになるわけでもない。

誰かに仕事を投げることだけしかできない中高年はこうやって生まれる。

部長、本部長と出世していけばいいが、枠が無限にあるわけではない。

役職がつかないが年を取ってしまったおじさんは、可哀想なのだ。

ジェネラリストとして、できることなど何もないまま年を取り、役職もないので一兵卒として働くことを強いられる。

何もできないので、若手に偉そうにして仕事を投げるしかない。

仕事を投げないと、自分の無能がバレてしまうからだ。

そういった働かないおっさんを解雇できないのが、日本社会の大きな問題の一つであり、諸外国に比べて「専門性を持つ人材に高い報酬を払えない」原因でもあるのだが、岩盤の解雇規制は崩れる様子もなく、おそらくあと5年くらいは維持されるものと思われる。

いま50歳の無能なおじさんは勝ち組である。

責任も取らず、無能でも高い給料をもらい、つまらない仕事の代償に、なかなかの良い暮らしができた。

問題は40代以下の人たちで、この人達が「定年」を迎えるまで、現在の歪んだ雇用体形が続く可能性は限りなく低い。

終身雇用・年功序列は日本経済が拡大していくことを前提に作られた制度なのだ。

制度が残っても、社会がそもそも持たないのである。

実際に、終身雇用や年功序列は日系大企業だけにしか残っていない。

それで、現在40代以下の日系大企業社員は、会社に余裕がなくなってくるにつれて、追い込まれていくことが予想される。

ジェネラリストで社内のお作法しか知らない社員は、「実力主義、成果主義、職能主義」が広がる中で、徐々に居場所を失っていくことが予想される。

だからこそ、まともな専門性が身につく会社にさっさと転職するべきなのだ。

いつまでも「今のぬるい環境」が続くと考えてはいけない。

日系大企業の社員は社内で馬鹿みたいに残業して「きつい仕事」をしていると勘違いしているかもしれないが、日系大企業の仕事の大半は「仕事ごっこ」である。

意味のないことをあーでもない、こーでもないと話し合って、無駄に時間を潰してる。

時間を潰していて、専門性が身につくか?

身に付かないだろう。

さっさと転職。

仕事しないおじさんが生き残れたのは時代が良かったから。

時代の徒花として、今後は消えていく存在なのだ。

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