高校の授業に意味があるかないかは自分で判断すべき

私たちの多くは

「ちゃんと授業に出なさい」
「学校にちゃんと行きなさい」

と言われて育ってきたはずだ。
私ももし自分に子どもが生まれたら、「ちゃんと学校に行け」と言うと思う。

しかし、「ちゃんと学校に行け」が正しいのは、「学校に行って授業を受けたり、友達と交流を育むことが正しい場合に限る。
高校3年生の受験期に「学校に行く」が正しいとは限らない。

中学の場合は無能な教師が己の無能さを隠し、授業の正当性を誇示するための

「内申点」

という愚かな制度が未だに残っている。

内申点が上がらなければ志望校の選択の幅が狭くなり、受験に不利になるため、無能の授業を天使のような顔で聞き続けなければならない。

これは中学生に課された罰ゲームだ。
義務教育を受ける上で中学生が支払わなければならない対価とも言える。

「授業は休まずにしっかり受ける」

は中学においては圧倒的に正しい。重りをつけてレースを走る競馬のようなものだと思えばいい。

しかし大学受験の場合は、無能な教師の授業を聞く必要はない。
時間には限りがあるのだ。

「とにかく学校に行け」
「学校に行けば全部正しい」

というのは、頭の悪い大人の主張であって、高校3年生にもなると

「その授業に意味があるのかないのか」

くらいは自分で判断できる。

受験に何の役にも立たない。
かといって将来の選択肢の幅を広げるような魅力ある授業もできない。

そんなゴミ教師の授業など聞くに値しないのだ。

高校1〜2年まではまだ受験まで余裕があるため、無能の授業に付き合うのもいい。
学校で友達を作るのもいいだろう。

しかし高校3年の夏以降は、無能の授業を聞く必要はない。
もし教師が受験に有用であれば、当然一番前の席で聞くべきだ。

目的と手段を履き違えてはいけない。

授業は目的ではなく、手段に過ぎないのだ。
高校の教師の一部には、自分が気持ちよくなるために無意味に生徒を支配しようとするゴミがいる。

社会の教師で、ショボいWordのショボいプリントで、教科書を無駄に穴埋めにしたようなプリントを配ってた奴はいなかっただろうか?

私の学校にはいた。

誇らしげに授業の始めにプリントを配り、授業ではひたすら教科書を音読し、プリントの穴を埋める。
そんなものは教科書に全部書いてあるのだ。

教師なら、教科書ではわかりづらい歴史の流れや「なぜ」を教えるべきなのだが、馬鹿だからそれができない。

くだらない授業を心の底から軽蔑していた。
くだらない授業を「教師」という立場によって強制する馬鹿に天罰が下ればいいと思っていた。

教師が生徒を評価するように、生徒も教師を評価するべきだ。
無能の授業は聞くに値しないと。
そう判断したなら、自習室かどこかで一人で勉強できるようにするべきなのだ。

私の高校の無能な社会化教師は馬鹿だったので、日本史の入試で一番出題されるのは近現代史なのに、教科書の順番通りに無駄に音読していって、近現代史を終わらせることができなかった。

彼の教科書の音読を黙って聞くくらいなら、『一度読んだら絶対に忘れない日本史の教科書』を一人で静かな部屋で読んでいた方が100倍効果的だ。

一部の無能な数学の教師は公式をそのまま黒板に書き写すだけで、「なぜその公式が成り立つか」などを説明する能力がなかった。
数学を理解していたのかどうかも怪しい。

マセマの数学の問題集を一人で読んでいた方がよっぽど効果的だ。

繰り返すが、高校1年生や2年生が周りとの協調性を育むためだとか、エンタメとして一緒に授業を受けるのはいい。

でも大学受験生には時間がない。
アホの授業を悠長に聞いている暇などないのだ。

教師にとっては「去年も来年も変わらないルーティーンの授業」なのだろうが、受験生にとっては一生に一度の闘いだ。
暇つぶしは教師一人でやればいい。役に立たない授業は切り捨てるべきだ。

そしてそのためには、
教師も教師で、「意味のない授業であれば切られる」
親も親で、「授業は手段に過ぎず、意味のない授業は切ったほうがいい」
という認識を持つべきだ。

教師はなぜか自分を偉いと思っていて、自分の授業を聞くのが当然だと考えている。
そして当然のように生徒に授業を受けさせるから、自らを研鑽することなく、毎年毎年同じような授業を繰り返し、進歩がない。

どうしてそんな下等な人間の自己満足に付き合わなければならないのか。
高校生はもっと冷静に判断したほうがいい。思考停止で「授業を受けるのが正しい」という姿勢を持たないほうがいい。

そういう人間が大人になって、自分の頭で何も考えずに社会に出て、非生産的な風習をそのまま残し、社会の癌として生産性を蝕んでいく。

何が必要で、何が不要かは自分の頭で考えよう。
不要なものは切り捨てよう。

自分の判断に自信を持とう。
こういう記事を書くと、高校教師は「高校生が正しいかどうかの判断なんてできるわけがない!黙って私たちの言うことを聞け!」と反論してくるだろうが、授業の意義を「黙って聞け」でしか説明できない人間はやはり馬鹿なので無視していい。

自分の授業の意義を正しく理解している有能な教師ならば、

「授業を受けたらこんなメリットがある」
「授業を受けることで独学に比べて受験にこんな有利な面がある」

とプレゼンできるはずだ。
自分の授業の有用性を権威でしか表現することができないアホの話は無視したほうが得だろう。

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