子どもの教育にプログラミングは意味がないのか?いや、習い事にするべきだ

3男1女、全ての子どもを東大理3に合格させた佐藤亮子ママが

「子どもの教育にプログラミングは必要ない」

と語っていたそうだ。

その理由は、子どもの頃に学んだ技術はその子が大人になる頃には陳腐化して意味がなくなるから、というもの。
たしかに小さい頃には携帯電話すらなかったのに、今ではスマホを全員が持っていて当たり前、みたいな時代になっている。

世の中の変化は激しく、10年経てばもはや別世界だ。

とはいえ、プログラミングの勉強に意味がなくなるわけではない。
技術はその瞬間にポッと突然現れるものではなく、過去からの積み重ねの先に生まれるものだからだ。

また、受験に特化して、人生の集大成を18歳の大学受験に持ってくるならば、プログラミングはノイズとなるだろう。
受験科目にプログラミングは入ってこないからだ。

受験で勉強する数学や英語のほうが汎用性が高く、子どもの未来を「安定」させる上で役に立つ。

しかし、プログラミングは物作りの創造性とパズルのような謎解きのような側面があり、医者や会社員として働くのではなく、

「将来、自分の力で何かを創り出せる人間になりたい」

子どもにとっては、最強の武器となるのは間違いない。

物を作るには素材が必要となるものだが、プログラミングに関しては脳みそとパソコンがあればいくらでもトライ・アンド・エラーができるのだ。

子どもの習い事として、ピアノやバイオリンの代わりにプログラミングの勉強をするのは本当に素晴らしく、意味があることだろう。
断言してもいいが、ピアノ、バイオリン、そろばん、習字などの習い事に割く時間をプログラミング教室に割いた方が、子どもの年収の期待値は高くなる。

現時点でプログラミングの需要は大きく、それが子どもが大きくなるまで続くとは限らない。
でもプログラミングスクールの学習内容も時代に沿ってアップデートされていくのは間違いないし、大事なのは

「プログラミングの勉強の仕方」

を身につけることだ。

最初の一歩の踏み出し方がわかる人とそうでない人は、学習のスタートダッシュに大きな差がつく。
プログラミングはその抽象度の高さゆえに最初の一歩のハードルはかなり高いが、学び方がわかればそんなに難しくない。

「習い事」としてのプログラミングは大いに意味があることだろう。

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数学を疎かにしてやるほどではない

これまでプログラミングの勉強の素晴らしさについて語ってきたが、個人的な意見としては、算数や国語、英語の勉強を疎かにしてまでやるほどではないと思っている。

プログラミングの技術一本で世界で食っていくことは可能とはよく言われるが、少しむずかしい勉強をやろうとすると、必ず数学の知識が必要となる。

大学レベルの数学を身に付けておかないと、機械学習の内容はさっぱり理解できないし、アルゴリズムの計算量の概念もわからないだろう。

英語を勉強しておかないと、衰退国日本と運命を共にすることになる。

国語ができないと、物事を論理的に考えることができず、プログラミングが書けるアホになってしまう。
企業にはコードは書けるが人に何かを伝える能力が極端に低い人はけっこういて、そういう人はだいたい損している。

小学校から積み重ねた基礎学習は案外大切なのだ。

インターネット上には文章が読めない大人がものすごく増えているが、国語の勉強を疎かにした結果、馬鹿が大量生産されてしまった。

というわけで、基礎学習を疎かにするのは全くすすめない。
基礎を学び、補助の習い事的にプログラミングの勉強をするのがいい。

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