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感謝のプログラミング 10000時間

たどり着いた結果(さき)は、感謝でした。

島田紳助の「勝てない勝負はしない」ということ。

感想文
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島田紳助さんの「自己プロデュース力」という本を読んで。

紳竜とは、島田紳助と松本竜助の二人が組んで作った漫才コンビのことです。
1977年から1985年にかけて活動し、日本の漫才ブームを牽引しました。

俺は生まれてなかったんですけど、当時の主流は背広を着て漫才するスタイル。
それをぶっ壊して、リーゼントヘアにつなぎ作業着という不良スタイルの「ツッパリ漫才」をしていた、とwikipediaには書いてあります。
島田紳助・松本竜介

でも、紳助さんがスタイルでいこうと決めたことには理由がありました。
思いつきではありません。

その理由とはなんでしょうか。


★ ★ ★

島田紳助は天才のようにも見えるが、どうやったら売れるかを初期の頃から冷静に計画してきた。
売れるべくして売れた人と言ってもいい。

島田紳助さんが徹底していたのは、「負ける勝負はしない」ということだった。
巨人も紳助さんも弟子の時代。

巨人は紳助よりも入門が遅いため、弟分だった。

地方巡業で九州に言ったとき、旅館で一緒に風呂に入った。
そのときに、ちょっとしたトークをした。

「巨人、お前はこれから何しはるや?」

「僕は漫才で、もう相方も決まっているんです」

「それまでは何してたん?」

「英語やったり、あとはモノマネとか」

紳助もそのときはモノマネに自身があったから、「ちょっとお前やってみいな」と巨人を試してみた。

そして、驚いた。

「あぁ、これがプロになる奴のモノマネか」

と。

「紳助兄さんもやってくださいよ」

と言われたとき、「俺、でけへんねん」と誤魔化した。
同じ弟子同士でもライバルだからだ。

負けるということは、相手に対して「一敗」がtく。
負けることはしたらいけない。
芸人は勝たなくてはいけない。勝つことしかしてはいけない。

その後、オール阪神・巨人の漫才を見て、正統派の漫才はやめようと決意した。

同じことをやっても絶対に勝てないからだ。

もう一つは、さんまと同期だったのも大きかった。
さんまの天性の明るさ。生まれついてのスター気質。


さんまには、なんでもないトークで爆笑させる力があった。
野球にたとえるなら、サードゴロをファインプレーに見せる力があった。

それが「華」というものだった。

24時間明るいし、こういう奴こそが人気者になるんだと思い知らされた。

それで、「俺はなんぼ努力してもこうなるのはムリやな」と身を引いた。

「ここも勝負せんとこう」

正統派漫才でオール阪神・巨人に勝てない。
さんまみたいな人気者にもなれない・

じゃあ、どうしたらいいかを考えて考えて考えた末、閃いた。

「そうだ、悪役だ」

元々は京都の不良少年だ。
本当に怖い奴は笑えないけれど、僕はそうじゃない。
怖い奴が実は弱かったら笑える。

そこからアイデアは膨らんでいった。

髪型はリーゼントにして、スーツを止めてツナギを着ることにした。

当初は劇場に行くたび、めちゃくちゃ怒られたという。
それでも、自分のスタイルを貫いた。

その裏側にあるのは、勝てる土俵で戦う、ということだった。

「勝てない現場」に行かないことを徹底していたため、仕事をすっぽかすこともあったそうだ。
勝てない場所には行かないことは、デビュー当初から徹底していた。

逆に、勝てる場所で結果を出せば、生意気でいられるとも言っていた。

★ ★ ★

仕事をしていても、「ここではこの人に絶対勝てない」というのを認めることは実は難しい。
その「すごい人」に勝つために、その分野でがむしゃらに努力してしまったりもする。

でも、どうしても勝てなかったりする。

たとえば技術者の場合。
社内にJavaのスペシャリストがいたとして、その人にはどんなに頑張っても勝てないとする。
そんなときにガムシャラにJavaの勉強をするんじゃなくて、発想を変えてみる。

自分が勝てる分野で努力する。
たとえば、デザインして画面を作ることだったりとか、インフラを整備することだったりとか。

そういう「勝てる分野」を選び、そこに力を注入する。
で、「勝てない分野」では、負けを認めて、捨てる。

俺はすごい人を見つけては「あれもこれも」と手を出して、結局、中途半端になってしまった。
ここだけは勝てる分野を見極めて、そこにリソースを注入していくことを考えようと思っている。


自己プロデュース力 (ヨシモトブックス)

自己プロデュース力 (ヨシモトブックス)

今日紹介した内容は、「自己プロデュース力」の一部の内容です。
島田紳助さんの成功哲学の結晶のような本です。

島田紳助さんはただの天才ではなく、「売れるためには何をしたらいいか?」を冷静に考え、計画通りに売れた人物であることがよくわかります。