感謝のプログラミング 10000時間

たどり着いた結果(さき)は、感謝でした。

自分とは異なる他者を受け入れるということ

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昼飯時に、こんなツイートをしてしまったので、一度冷静になって反省したい。


Adobe Readerのインストールくらい、いちいち人に聞かないでググればいいじゃないですか、と不親切な言い方をしてしまった。


なんでそう思ったかというと、その人がまるで自分で考える気がないことに対して、「おかしい」と感じてしまったからだ。

というのも、自分自身、わからないことがあったときは、

「まず自分で調べる。自分で考えて、少なくとも仮説を立ててから人に聞く」

ということを社会人になってからずっと心がけてきた。
そうするのが当然だと思ってきた。

それが当たり前だと考えてやってきたから、自分で調べることをしない人に腹が立ってしまったのだ。

しかも、Adobe Readerのインストールという、ググれば5秒でダウンロードサイトに辿り着けるものだから、なおさらだった。。


でも、一度冷静になって、もう一度今回の怒りを違う角度から見直してみた。

自分の考え方が本当に全てなのか?

自分が絶対に正しいのか?

なぜ他の人を受け入れることができないのか?

思えば、その手の怒りの源はいつも、「自分がこうやっているのに(心がけているのに)、なんでお前はやらないんだ」というものだった。


このブログにも残してきているように、俺は一応、プライベートの時間でも、仕事に活かすために技術的な勉強を続けてきたのだけれど、
自分がそうやって勉強を続けているから、逆に勉強する気もない、努力する気がない後輩に腹が立ったこともあった。

30後半になってもまともに技術を身に付けることもなく、丸投げと政治力しかないヒトを軽蔑したこともある。


でも、今日のことをきっかけに、改めて思う。

俺が「人に聞く前に自分で考える」と心がけていることも間違ってはいないはずだけれど、他の人も間違っていない。

ただ、異なっているだけだ。

自分より技術力がある人もいる。ない人もいる。
自分よりも努力している人もいる。していない人もいる。
自分で考える人もいる。考えない人もいる。

自分よりできない人がいたら、その人を切り捨てるのが正しいか?
そんなはずはない。

それだと当然、自分よりできる人から俺は切り捨てられることになる。
それでいいのか?

昔読んだ「スラムダンク勝利学」という本では、成長するには「心・技・体」すべてを鍛える必要があると書いてあった。

俺は「技」ばかりにとらわれて、心の部分は全然成長できていなかったんじゃないだろうか。

自分と異なる他者を受け入れること。
それを「優しさ」というんだろう。

努力を続けたら、知識は増えるだろう。
できることも増える。

けれど、それをもって、他の人を見下したり、馬鹿にしてはいけない。
それでは、心が全く成長していない

身に付けるのは技術だけじゃなく。

他者を受け入れる優しさを。

困っている人を助けられる度量を。

笑って人を受け入れられる器の大きさを。

身に付けたい。

それが、本当の成長なんじゃないかな。

技術だけではなく、心を鍛える。
そして、健全な心は健全な肉体に宿るともいうので、身体も一緒に鍛える。

そういう人間に、変わりたい。
人に優しくできるようになりたい。



・・・そうやって変わっていくためには具体的に何をすればいいのか、という話はいくつか考えているんだけど、それは次のエッセイで書こうと思います。

こんなこと心がけたら変われたよって方がいれば、何かアドバイスをもらえたら嬉しいです。