感謝のプログラミング 10000時間

たどり着いた結果(さき)は、感謝でした。

かつて俺はスロットにハマり、大切なものと引き換えにお金を得た。そして、稼いだお金は泡のように消えてなくなった。

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大学2年から3年の冬まで、毎日欠かさずパチンコ屋に通った。
雨の日も風の日も、うだるような暑い夏の日も、凍えるような寒い冬の日も。

毎日毎日、朝9時に並び、夜の22時30分には下見に行った。
毎朝9時から11時までスロットを打ち、平均すると月に15万程度は稼いでいた。

当時のスロットは、「4号機」と言われる世代で、これは仕様を勉強すれば勝てる仕組みになっていた。


スロットというのは、メダル3枚と引き換えにレールを回すのだけれど、「当たるかどうか」は機械の中で、確率に従って決められている。
グルグル回ってるレールをすごく目のいい人が止めたとしても、「7」を揃えられるわけではない。

それで、4号機の時代は、大当たり(=メダルがじゃらじゃら出るもの)から、「0回転目~100回転目は当たる確率が上がる」とか、
1280回転するまでには必ず当たる(=天井)というのが仕様として決められていて、これを知って、「おいしいところだけ」打てば誰でも勝てる仕組みになっていた。


その回転数というのは、スロットマシンの電源を切ると見かけ上は「0」に戻るのだけれど、内部ではカウントは残されたままだ。
なので、前日に下見に行って、チャンスの回転数で終わっているものをメモして、翌朝並んで狙い打っていたのだ。

こういう美味しいところだけ横取りしていく輩を俗に「ハイエナ」という。

さらに詳しく言うと、設定変更したかどうかを見るための「リールガックン確認」や、「出目が変更されているかの確認」など色んなテクニックがあるのだけれど、そこまでは触れない。

でも、自分がやっていたのは、月単位で見るとほぼ確実に勝てる「必勝法」だったと思う(期待値が100%を大きく上回っていたため、最終的には期待値通りに収束する)

そして、勝てる勝負、すなわち必ず金になるチャンスを見逃すことができずに、毎日毎日通った。


「月に10万円というお金」は、学生にとっては大金だ。
スロットにハマる前の大学1年生のときは、月に2~3万円程度のバイト代で極貧白米生活を送っていたので、その反動も大きかった。


勝ち始めると、すぐに金の魔力に取り憑かれ、金を稼ぐことばかり考えるようになった。

大学の授業もほとんど出なくなった。
単位はギリギリで、ひどいときは前期で取れた単位が8単位なんてときもあった。

大学1年の時はみんなでウィニングイレブンをやってたりしたのに、そういうのも少なくなった。

あの頃の俺にとって、スロットはただの金を稼ぐためだけのマシンで、全然楽しくなかった。
そりゃそうだ。
誰かと協力して何かを作り上げるでもない。責任のある仕事でもない。
ただ、期待値に従って淡々とリールを回していた。

つまらなかった。
それでも辞められなかった。
お金が、欲しかったから。


稼いだ金は本当に、あぶく銭というにふさわしく、馬鹿みたいに使った。
無駄に友達に奢ったり、無駄に服を買ったり。

ちなみに、スロットで勝った金で奢っても友達に感謝なんてされない。
人の心を動かすのは、かけた手間と真心なのだ。


あぶく銭で奢ったところで、誰の心も動かさなかった。
煽てられて、いい気になって奢っていた。


こんなにおごったのは俺か平家か、といったところだろう。


結局、あんなに時間を使って、あんなにお金を稼ぐことばかり考えていたのに、形になるものは何も残らなかった。


徐々に疎遠になっていった友達。
失ってしまった貴重な時間。
パチンコ屋に通った時間でできるはずだった多くのこと。


全部もう戻ってこない、貴重な時間だ。


「あの時、もっと違うことに時間を使っていれば、今は違う人生になっていたかもしれない」


大人になると、往々にしてこういうことを考えがちだ。
そして、このような後悔はほとんど意味をなさないものだ。

それでも。

それでも、スロットをやっていなければ、あの自由な大学時代に、また違う思い出を残せたかもしれない。
友達をたくさん時間を過ごせたかもしれないし、今でも役に立つ知識を身に付けることができたかもしれない。

俺達は、たくさんあるものについては、価値を過小評価する傾向がある。
大学生が持つ最大の資源は、その自由な時間だ。

無駄を楽しむのもまた一興だが、無駄遣いばかりするべきではなかった。
積み重なるもの、将来も残るもののために、時間を使えばよかった。


「努力は複利で効いてくる」


この言葉は、俺の好きな言葉なんだけど、サボったら逆に、将来利子を払うはめになる。


その利子が10年後の自分にのしかかってこないように、その場限りで消費される快楽におぼれないように、気をつけないと。


やや余談になるが、大学の後半はスロットを辞めて、必死に勉強した。
その経験は今も役に立っている。

本気で勝利を目指したスポーツの仲間たちは、今でも親友だ。

「大学時代のすべて」をスロットに費やしていたなら、こういったものも何も残らなかった。

というより、「残っていないこと」にも気付くことができなかっただろう。

その場ではスロットでお金を稼ぐことができたとしても、恐ろしく退屈な人生になっていたに違いない。