感謝のプログラミング 10000時間

たどり着いた結果(さき)は、感謝でした。

学問をファッションにする人達

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世の中で最も愚かな人達が、勉強だけして悦に浸る人間だ。
なぜ愚かなのかというと、誰の役にも立っていないからだ。

経済学の本を読んで、経済理論を誇らしげに語る友人がいた。
哲学書を読んで、偉人の思想を語る人もいた。

理論を読んで、知識自慢をするかのように仲間内で議論して、「たくさん知っている」ことを誇る大学の友人が嫌だった。
軽蔑していたといってもいい。

研究室でそいつらが議論を始めるたびに、自慰行為を見せつけられているような、不快な気分になった。

「漫画でわかるニーチェ」シリーズみたいに、難しい本(「ニーチェが本当に難しいか」は置いておいて)を噛み砕いて、一般向けにわかりやすく説明してくれるなら、そこに大きな価値がある。
一番意味が無いのは、理論だけ学んで、その理論を誇らしげに吹聴し、自分自身では何もしない奴らだ。
そういう奴は、勉強したことを誇る。知っていることを誇る。

でも、それはちょっと違うだろう。
なぜなら、勉強しただけで、何も生み出していないからだ。

社会人が資格試験に受かっただけでは意味がないのと同じだ。

知識を誇るのではなく、知識を活かして生み出した価値を誇るべきだと思う。
それなら、たとえ小さな価値であったとしても、素晴らしいことだ。


研究室の端っこで、

「お前ら、仲間うちで偉そうに議論して、世の中を批判して、結局何を生み出したんだよ・・・」

と、いつも思っていた。


当たり前だけど、勉強が無意味だとは思わない。
でも、具体的なアウトプットにつながらない勉強にはさほど価値はない。

もちろん、「今はアウトプットにつながらないが、将来的に何かを生み出す種になる」ということはあると思う。

スティーブ・ジョブズが大学でタイポグラフィの勉強をしたことが、後のMacフォントの作成に役に立った。
「点と点がつながって線になった。何が役に立つかなんてわからない」という話はあまりにも有名だ。

結果から見ると、勉強したことに無駄なんてなかった、と振り返る人はたくさんいる。

ただ、結果として知識を価値に変えることができた人間は皆、市場と向き合っていたということだ。
学校にこもって、世間と離れた場所で勉強することで悦に浸る人間や、人に誇るために勉強するような人に、具体的な価値を生み出すことはできない。

というか、評価してくれる人がいないから、価値があるのかどうかもわからない。
価値を評価するのは市場だからだ。

結果、特に意味のないことをやっていたとしても、評価する人が自分しかいないもんだから、本だけ読んですごい人間になったような気分になっている。
そんな人間が、市場に向き合って価値を生み出そうと頑張っている人に対して、

「何かを勉強するなら会社を離れて学校にこもらなきゃダメだ」

みたいに偉そうに能書きを垂れるのは、本当に滑稽だと思う。

余談

村上春樹の小説の、このセリフが好きです。心に響くんだよね。

「キー・ポイントは弱さなんだ」と鼠は言った。「全てはそこから始まってるんだ。きっとその弱さを君は理解できないよ」

「人はみんな弱い」

「一般論だよ」と言って鼠は何度か指を鳴らした。「一般論をいくら並べても人はどこにも行けない。俺は今とても個人的な話をしてるんだ」

「何が良くて何が悪いなんて、いったい誰にわかるんだ?」

鼠は笑った。

「まったく、もし一般論の国というのがあったら、君はそこで王様になれるよ」

羊をめぐる冒険

羊をめぐる冒険

余談2

ちなみに、わかるひとはわかるかと思うけれど、これは、

・「大人になっても勉強するなんてみっともないことはやめなさい」という記事に感銘を受けました

という記事を読んで、反射的に書いた記事だ。
すくろあ(sclo-a)さんに対して物言いたいわけではないため、リンクは貼らない(言及通知が飛んでしまうため)

ただ、記事で引用されていた哲学者には突っ込まずにはいられなかった。

ツァラトゥストラかく語りき (まんがで読破)

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