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感謝のプログラミング 10000時間

たどり着いた結果(さき)は、感謝でした。

愛のままにわがままに、僕はJavaだけをディスらない。

雑談
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けっこう拡散された昨日の記事について。
「Javaが使われないのは、エンジニアが楽しくないからだ」 - 感謝のプログラミング 10000時間

色々なブコメツイッターを見ていたら、俺がJavaをディスっているように見えたようだ。

でも、俺がJavaディスるなんてとんでもない。
そもそも俺は、ディスるほどの域にまったく達していない。

酸いも甘いも知り尽くした上で、その上でやっぱりダメだったらディスる
お前はダメだと。

しかし、そこまで達してもいないのに、Javaにダメ出しするつもりなど毛頭ない。
全くない。

このブログの過去記事にはずいぶんJavaの勉強の記録を残してきたし、詳細は書かないけれど、Javaに救われたと思っている。
だから、感謝こそすれ、「Javaに喧嘩を売る」なんてとんでもない。

どちらかというと昨日は、面白い人に会った時の、微笑ましい一コマを語りたかった。

口角泡を飛ばす勢いでRailsの素晴らしさを語り、楽しそうに技術の話をしつつ、ローンの返済後の転職を夢見る彼が、すごく好きだった。


高校のとき。
地区にはいくつかの高校があったんだけど、それぞれの高校でミス○高みたいなことが行われていた。

俺は、俺達は、自分の高校には目もくれず、他校のミス高を崇め奉った。
なんとなく、身近にいる自分のとこのミス高はすごくダサい気がしたのだ。


その子を手に入れたわけでもないのに。


他校のミス高に目を向け、必死に電話番号を聞き、当時流行っていた「ワン切り」を食らわし、無視された。

着信音を鳴らさずにワン切りを仕掛けるのが得意だった。
四和音の着メロを作曲できることが俺の唯一の誇りだった。


・・・Rubyは、他校のミス高のようなものである。
とても輝かしく、オシャレで、カッコ良い。
素敵で眩しく、今の時代を生きてる。

Javaは自分のとこのミス校みたいなものだ。
身近にいて、スペックも高いんだけど、なぜか隣の芝の方が青く見えてしまう。

自分が、それを手に入れたわけでもないのに。

昔の偉い人は言った。

「身近にいるヒトの美しさに目を凝らしなさい」

と。


昨日の記事の予想外の拡散で、Javaがたくさんの人に愛されていることもわかった。
これは大きな収穫だった。

声を大にして、Javaを好きだと言えるインターネットはなんと素敵なことだろう。

身近にいるJava子を口説くためにも、もっと自分を磨いていこうと思う。