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感謝のプログラミング 10000時間

たどり着いた結果(さき)は、感謝でした。

プライドか損得か、あるいは何が大事なのか。

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ブログを書いてホットエントリに載ったりすると、色んな人が色んなコメントを残していきます。
その中には、タイトルだけ読んで悪口書いてくる人とか、見当違いなところで罵倒してくる人とか、色んな人が出てくるわけです。

ひどいコメントを見て、「グッときつい言葉で反論したい気持ち」が沸き上がってくるときは、いつもこの記事を思い出します。
「何を言われたか」ではなく「何を言うか」
少し長くなるけど、引用します。

ちきりんの日記にもブックマーク、ツイッター、さらにはトラックバックでいろんな意見が寄せられる。賛成や賞賛のコメントもあるし、批判や罵倒のコメントもある。

でもその内容を気にする必要はあまり感じない。なぜなら多くの場合、そのコメントで評価されるのは“コメントの書き手”であって、ちきりんではないから。


誰かがちきりんブログに大絶賛をするコメントをつけたとしても、それを読んで「そうか、このエントリはすばらしいのか」なんて思う人はほとんどいない。

批判の場合も同じ。私が誰かのエントリに「意味不明な内容だ」とコメントしたとしましょう。いくらちきりんファンの人でも、それだけでそのエントリが意味不明だと決め込む人はいないよね。一方で、そんなコメントをするちきりん自身の「読解力」や「ちきりんの人格」は、厳しく問われることになるでしょう。

はてなブックマークツイッターで悪口を書かれるたびこの記事を見て、何度勇気づけられたことか。

何を言われるかじゃなくて、何を言うかで判断される。
そう信じることで、罵倒も気にせずにいられたわけです。

★★★
さて、「何を言うか」に慎重になることの大切さは、引用したちきりんさんの記事から学んだけれど、他にも自分がよく考えることはあります。

まず、「損得を考える」という点。

悪口を書いてくる人に反論することによって、自分が損するのか得をするのか考えます。

時間や精神的な労力を使って、ツイッターで議論して、神経をすり減らしたとして、それが自分の得になるのかというと、全然ならないわけです。
時間をかけても相手はますます自分のことを嫌いになるだけだし、自分も疲れます。
それで喧嘩した人と、雨降って地固まるみたいに、仲良くなれるなら別ですけど、まずそんなことはないでしょう。

そして、中にはロジックとか全然関係なくて、相手を消耗させるだけの闘いを挑んで来る人もいるわけで、そこで闘って何を得られないんですよね。
「プロブロガー」のように、ブログをやって生計を立てている人が、公開で議論をすることでPVを増やすなら、何かと意味があるかと思いますが。

何を得られるわけでもないのに、それでも闘うのはなぜかというと、多くの場合は「プライドを守るため」だと思うんです。
カチンときて、譲れないものがあるから議論する。ネットで喧嘩する。

でも、そのプライドは、本当に大事なものなの?

闘いの先にあるのは苦しい消耗戦なだけで、闘ってる姿を見て野次馬がたくさん現れて、ますます消耗してしまうでしょう。

いずれ力尽きて、ブログを閉鎖することにもなりかねません。

で、考えるべきは、自分にとって、何が大事なのかってことだと思うんです。
自分にとって、このブログにとって、何が大事なのか。

俺の場合は、(タイトルに「10000時間」なんてつけてるのもあって)、「末長く続けること」が大事だと思っています。

そのためには、なるべく炎上させずに、平穏なブログ運営をしようと。
だから、人と罵り合いとかはしたくない。
ブログを書くモチベーションが下がってしまうから。
敵が増えてしまうと、書きづらくなってしまうから。

だから、議論したくなるときは、グッとこらえる。

ブコメツイッターで悪口を書かれて反論したくなる時は、

・書かれたことよりも、何を書くか
・喧嘩して得するのか
・自分にとって大事なことは何か

を考えて、一度冷静になって考え直すようにしています。

ネットで成功しているのは〈やめない人たち〉である

ネットで成功しているのは〈やめない人たち〉である