感謝のプログラミング 10000時間

たどり着いた結果(さき)は、感謝でした。

ブログは論述形式じゃなくて、選択形式で読まれる。

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前の記事からの続き。
文章を通じて自分がどう見られるかを意識することは大事。

ブログを書いていると、文章の主旨とは全く関係のないようなところでツッコミを受けることがある。
たまに自分が主張したいことと全く逆に読まれてたりして、コメントを見てビックリする。
で、なんでだろうとよく考えていたんだけど、最近思ったのは、ブログって「選択式」で読まれてるよね、ということだ。

「選択式」というのは国語の出題形式になぞらえている。
国語の問題には、「論述式」と「選択式」がある。

論述式というのは、「この文章を読んで筆者の主張を100文字以内で述べよ」みたいな感じで、文章から答えを読み取らなければならない。
一方で、選択式というのは、あらかじめ答えが用意されていて、そこから正解を選ぶような問題になっている。

ネットに転がっているブログの文章を、論述式の国語の問題みたいにじっくり読んで、「この人は何が言いたいんだろう」と考えてくれる人は少ない。
特に、ツイッターとかはてブで拡散されてから訪れる「一見さん」にはその傾向が強い。
(逆に、毎回訪問してくれる「常連さん」とはじっくり読んでくれているかもしれない)

★★★
上に述べたように、多くの人のブログの読み方っていうのは「選択形式」だと思う。
そして、その選択肢は読み手自身が持ってる。
書き手が全て用意できるわけではない。

どういうことかというと、「自分がこう読みたい」っていうイメージ(=選択肢)が先にあって、文章からそのイメージに合う記述を探しているような感じ。

で、「こう読みたい」っていうイメージは本文を読む前に作られる。

半分くらいは「タイトル」で作られて、あとは「読み手のバックグラウンド」と、「書き手に対して普段から抱いているイメージ」で形成される。
「このブログに、こんな内容を期待している」というイメージができあがる。

イメージができてしまうと、本文の内容は「イメージに合致する記述を探す」対象となってしまう。
気に食わないと思っていた人が書いたブログを読むときだったら、「文中から気に入らない箇所を探して、はてブにコメントを残すのが正解」みたいに(星の数は得点)

前の記事にはてブのコメントで、

ブログのタイトルとか他のエントリとかパラパラ見た感じ、自己啓発民のポジティブシンキング&いいとこ探しと考えると色々納得ができた

と言うコメントをいただいたことがあるが、このコメントを書いた人から見たら、俺の記事はどれもだいたい「ポジティブ自己啓発くそ野郎」の記事に見えるだろう。
そういうイメージが形成されているからだ。
→イメージについては冒頭のリンクの前の記事を参照

あとは、炎上してしまったブロガーさんの記事も、何を書いても首を斜めにして読まれ続けるだろう。
言葉を尽くして主張しても、言いたいことはなかなか伝わらない。
たまに良いことを書いたとしても、だいたい流される。

それは、読み手が本文を読む前に作っているイメージと合致しないからだ。
読み手の「選択肢」にないからだ。

以前にブログの「誤読」というのが話題になった気がするけれど、どっちの責任かというよりは、
書き手は書き手で、どんなイメージを持たせてしまうか?を意識して、
読み手は読み手で、どんな先入観を持っているか?を意識することで、誤読自体は少なくなってくるんじゃないだろうか。

とはいえ、ブログでいちいちそんなの気にする必要があるわけではないので、好きなように書いて、好きなように読んで、お互いに気にしないのが一番だと思う。
国語の問題文は、ちゃんと読まなきゃダメだけどね。


★★
時間があるときに、コミュニティが作る雰囲気について考えたいので、「はてブgunosyのコメントの違い」について書いてみたい。
はてブの雰囲気とgunosyの雰囲気があまりにも違って、面白かった。