感謝のプログラミング 10000時間

たどり着いた結果(さき)は、感謝でした。

文章を通じて自分がどう見られるかを意識することは大事。

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人はよく、「本当の私を見て」と願う。
しかし、往々にして、「本当の私」というものはなかなか理解されない。
というのも、心の中で考えているコトは他人に見えないからだ。

「目に見えること」で他人を判断し、残りの足りない情報は、想像の中で補うしかない。
その過程で、その人が持つ「イメージ」が形成される。
そしてそのイメージは、時としてその人の実態と離れてしまうこともある。

SNSで友人とつながって、情報を発信できる今は、「何を書くか」ということがイメージを形成する上で、意外と大きな割合を占めているように思う。
そして、「人にどう見えるか」というのを意識しないで投稿して、知らず知らずに損をしているケースも多い。

大学生の頃、mixiというサービスが流行っていたんだけど、俺はそこに「合コンで失敗しました~」みたいなネタばかりを書いていた。
実際は合コンをしているのは生活のごく一部で、普段は勉強したり、部活に行ったり、バイトしたりしていたわけだけれど、その中の一部の「合コンネタ」をピックアップして書いていたわけだ。
そういう自虐ネタは、人を傷つけずにちょっとした笑いを提供できると思ったから。

でも、そうやっていると、普段から会っていない人の中には、

「こいつは合コンばっかりやってるチャラい奴」

というイメージが作られる。
そしてそのイメージは、固定化されちゃうんだよね。

で、一旦イメージが作られると、それはなかなか覆らない。
他の人には、「その人が抱いているイメージ」に合った情報ばかりが目に入るようになるから。

たとえば、俺が道で困っている女性を助けたら、
「またこいつナンパしてw」と言われ、

クラスの地味めな友達が似たようなことをすると、
「やっぱりいい人だね」
と言われる。

というわけで、大学時代はチャラいイメージがついてしまって、本気で恋をしたときにずいぶんと損をしてしまった(笑)

これは今となってはただの笑い話なんだけど、「文章を通じて形成されるイメージ」にはもっと気を使ってもいいかもしれない。
というのも、今は実際にリアルで接する人数よりも、SNS上で交わる人数の方がずっと多いからだ。
普段会ってないような人は、文章を通じてその人のイメージを作っていくわけで。

反射的に人の悪口を書いたりとか、会社の愚痴とか書いてる人もたまにいるけど、送信ボタンを押す前にグッと踏みとどまって、

「それが友達にどう見えるか」

を意識すると、「損なイメージ」がつくことが減るんじゃないだろうか。
だって、書いた文章はその人のほんの一部だとしても、それしか見ない人にとっては、書かれたことが全てなわけで。
書いてあることで、「こういう奴だ」って判断されるよね。

まぁ、そんなことばっかり考えて無難な投稿ばかりしてるFacebookは、食べ物の写真ばかりなんだけどね。


・・・次の記事に続きます。
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