感謝のプログラミング 10000時間

たどり着いた結果(さき)は、感謝でした。

もし自分が死んだら、Facebookのアカウントをどうしたいか。

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「死」という非常にセンシティブな話についてなので、慎重に書く。

今日の日経新聞の13面にSNS終活」のススメという記事があった。

Facebookではその人の誕生日が来ると、その友人に誕生日のお知らせが届く。
本人が亡くなってしまった場合でも、「アカウントの削除措置」をしない限り、毎年メールが届くようになっている。

記事で書かれているのは父親が亡くなったご家族の話。遺された人は、

写真や文章を見ると父親が生きているようにさえ思え、消去しがたい。
このページを一体どうしたらいいだろうか。

と悩んでいるようだ。


利用者が死亡した場合、Facebookをどうするかについては3通りある。
一つ目は、アカウントをそのままにするという選択肢。

もう一つは、アカウントを削除するという選択肢。
死亡者のFacebookアカウントを削除するには、親族が死亡を証明する書類など、必要な書類を提出すればアカウントを削除することができる。

最後に、追悼アカウントに切り替えるという選択肢。
追悼アカウントは、アカウントが凍結され、友人や家族以外には閲覧不可能になる。

なお、Facebookの公式ページの説明はこちら。
アカウントの利用解除、削除、追悼

ついでにツイッターの公式ページは以下になるので貼っておく。
亡くなられたユーザーに関するご連絡

あとGmailもあった→亡くなった人のメールへのアクセス
・・・mixiはいらないよね?

★ ★ ★
ニフティとコムニコが行った「ソーシャルメディアに対する"終活"の意識調査」によると、

●家族が死去した場合には
・「残したい」「どちらかというと残したい」・・・合わせて49.2%。
・「どちらかというと残したくない」・・・50.8%
と拮抗している。

一方で、
●自分の死後については
・「残したくない」「どちらかというと残したくない」・・・合わせて71.6%
という結果になったようだ。

こういう調査結果とか記事を読んで、じゃあ「仮に来年にでも俺が死んだ場合、俺はどうしてほしいだろうか」っていうのを朝から考えてるんだけど、やっぱり自分のFacebookのアカウントは残しておいてほしいなって思うんだよね。

単純に、一年に一回くらいは思い出してもらいたいから(笑)

かといって、ずっと死んだ自分のことを偲んでほしいわけでもなく、もし自分が結婚してたり、恋人がいたりしたときは、あまり気にしないで次に進んでほしいとも思ってる。
前を向きつつ、たまにでいいから思い出してほしいなって。

Facebookにはたくさんの友人がいるけれど、その中には仲の良い人もいれば、知り合い程度の人もいるわけで。
薄い関係の人から見たら、故人のFacebookアカウントが残ってるのを見るのは嫌なものなんだろうか。

振り返ると、自分は本当に仲の良い友人を亡くした経験がない。
だから、友達が死んじゃったりしたら、どんな気持ちになるのか、想像するのが難しい。

きっとすげぇ悲しいんだろうけど、それでも前向いて普通に生活するもんなんだろう。
たぶん俺が死んだとしても、みんなは普通に恋人に会うし、会社には行くし、風呂に入ってテレビを見るんだろう。

だんだんと悲しい記憶が薄れていって(人間はそうできてる)、ふとしたときに時々寂しくなったとしても、やっぱり毎日は「いつもの毎日」なわけで。

じゃあ俺が死んだ時に何が残るの?何を残しておけるの?っていうと、意外とFacebookの記録とか、このちっぽけなブログとかも含めて。
ささいなライフログって意外と日々の足跡になって、誰かが思い出してくれるきっかけになるんじゃないのかな。

これってちっぽけなのかな。

石井裕先生っていう、MITにものすごく偉大な研究者がいて、その人は何回も何回も、

「2200年を生きる未来の人々に、あなたは何を残したいですか? どのように思い出されたいですか?」
「自分の死で終わりではありません。私はその未来に対して責任を持って、何を残していけるのかをずっと考えながら生きていきたいと思っています。」

って言ってた。
参考(というか、必見)→自分が死んだとき何を残したいですか?:MIT 石井裕教授 「未来記憶」

俺は、自分が死んだ時に何を残したいんだろう?
まだ結論は出ないまま、とりあえず、Facebookのアカウントは残す方向で。

我らクレイジー☆エンジニア主義 (中経の文庫)

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石井先生は、「プロフェッショナル仕事の流儀」で一躍有名になったんだよね。
早口で、いつもせわしなく動きまわってる人。