感謝のプログラミング 10000時間

たどり着いた結果(さき)は、感謝でした。

「頭の良さ」を測る物差しってなんなんだろう?って考えて悶々としている。

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たとえばの話だが。

さっき彼女と電話していて、

「元カレはすごく頭の良い人だったの。
元カレと話しているといつも自分が頭が悪いような気分になってた。
あなたと話しているときは、そんな風に思ったりはしないけど」

と言われたとする。

そういう話をされるとムッとして、なんとか言い返そうとするが、反論が思いつかない。
なぜなら、「自分がその元カレより頭が良い」と証明することができないからだ。

その元カレはデートでは冗談などほとんど言わず、いつもニュースと歴史の話をしていたそうだ。
元カレがつまらなそうとか、キモい奴なんじゃないかとかは、ここでは議論の対象としない。

ここで考えたいのは、「自分の頭の良さ」ってどうやって証明するんだ?という話だ。
「頭の良さ」って何によって判断されるの?

まず、世間一般的な「頭の良さの尺度」とされているのは「学歴」だろう。
実際は会社に入って色んな大学の人と仕事をすると、学歴と仕事の能力は全く比例しないことに驚くことはたくさんあるし、そもそも18歳時点の学力が半永久的にその人の能力の尺度になるわけがない。

こんな人↓もいるわけだし。
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それでもやはり、一般的には「大学名」によって「頭が良い人、悪い人」が判断されがちなのは事実だ。

「学歴」を「頭の良さ」の尺度とする傾向は、言い方は悪いけれど、特に低学歴な人ほど顕著だと感じている。
逆に高偏差値の人は、あまり大学名だけで人を判断しない傾向があるように思う(就活のときに、グループディスカッションの自己紹介で、「俺は慶應であることを誇りに思う」なんて言ってるキモいやつがいたが、アホだった)

次に、「資格試験」。
特にそうだが、難関資格試験に合格した人はけっこう頭の良い人とされがちだ。

自分のそこそこ難しい試験に受かったことがあって、そのときは自分は試験に受かっただけで何も変わっていないにも関わらず、周りからは「頭が良い」みたいに思われるようになった。

でも、自分としては、大学受験や資格試験で測られる能力は、「決められた時間(期間)の中で、多くの情報を処理する(記憶する)能力」であって、それは頭の良さとはまた別だと思っている。
そもそも、そういう類の能力って、今はほとんどコンピュータに代替されてるしね。

自分がいた情報系の会社には、お前コレクターか!ってくらい高度情報処理試験の資格を取りまくってる人がいたんだけど、その人は簡単なWebアプリだって作れなかったんだよ。

逆に素晴らしい技術力を持って、素晴らしいシステムを作るプログラマーの人は、資格一個も持ってなかったりする。

で、自分が頭が良いと思うのは後者の人なんだよね。

資格いっぱいもってる人よりも、アイデアを実現する力がある人。技術力がある人。
高学歴よりも、合コンで機転が利いて面白いこと言える人。
TOEICの点数が高い人よりも、下手くそな英語でもいいから自分で考えてお金を稼ぐ人。

こういう人が頭良い人だなぁって思うんです。

(合わせて参考)
ツイッターの創業者たちは、誰もきちんと大学を卒業していない。いずれも地方の州立大学などを中退しており、友達がいない引きこもりだった


で、冒頭の話に戻るんだけど。
上で俺が書いたような「頭の良さ」って、全くの他人には証明しづらいんだよね。

一緒に働いてる人から見たら、「すごい」ってわかる。
でも、たとえば彼女だとか、合コンであった女の子とか、屋台で隣に座ったオッサンとか、あるいは銀行の融資担当者とか。

そういう人にはなかなか伝わらないような気がして。

そういう人に「自分は頭の切れる者です」「安心してください」とわかってもらうには、やっぱり「肩書き」がモノを言う気がするんだよなぁ。
なぜかというと、学歴や資格などの肩書きは、その仕事を知らない人との「共通の尺度」になるから。

で、その尺度は実は本当の意味で尺度になってないんじゃないの?って思いながら、うーーんと唸って、悶々としている。


<悶々と追記>
資格とかの尺度がなくても、実際にモノを作って見せることができればいいのかな?
でもそれだと、プログラマーとかに限られるし、オープンソースとか作ってるすごい人のことはなかなか伝わらない気もする。
万人向けの尺度ってなかなか無いよね。