感謝のプログラミング 10000時間

たどり着いた結果(さき)は、感謝でした。

事実マニアと感動マニアが交わる時。

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12月に、映画「永遠の0」を見て泣いた、という記事を書いた。
【感想】映画「永遠の0(ゼロ)」が本当に本当によかった。今まで観た映画の中で一番泣いた。

それに対して、こんなコメントがついていた。
(※コメントしてくれた人を晒す記事にはしたくないので、idは載せません。ブログでケンカしたくないので笑)

すみませんがなぜ泣くのか教えてください。戦場で他の戦闘機が交戦中に、自分だけ上空で傍観をしていたら、それって「戦場逃亡」だと思いますよ、実際にはありえません。  その行動が何回か続けば、軍法会議で重罪になるか、転属させられるかでしょう。馬鹿馬鹿しい非現実的な映画でした。特攻という馬鹿げた何の意味もない作戦で、お涙ちょうだいするため、作者はすごい無理と嘘をついていると思いますよ。私の感想は1/8に書きました。

このやり取りをごくごく単純にまとめると、

「映画見てマジ感動した!超良かった」

という俺に対して、

「それは事実と違う。こんな馬鹿げた映画でなぜ感動したのか意味がわからない」

と言っている感じ。

コメントを頂けたのはありがたかったのだけれど、、、
このコメントを受けて、今日考えてみたいのは、「俺がなぜ『永遠の0』に感動したか」ではない。

「感動した!」という人と「事実と違うぞバカ」いう人のやり取りは、「永遠の0」に限らず色んなところで起きているということについて、考えてみたい。

★ ★ ★

たとえば、司馬遼太郎の「竜馬がゆく」。
あれにも俺は感動した。特にクライマックスに向けた大政奉還のくだりなんかは、大学の授業中にこっそり読みながら泣いてしまったくらいだ。

余談だが、高校の授業のときに「シュート!」という漫画をこそっと読んでいて、久保さんが死んだときは数学の授業中に号泣してしまった。
炭酸抜きのコーラが流行ったのも「シュート!」の影響だ。高校時代に戻りたい・・・!

話がそれた。

そう、「何かに感動した!」という人に対して、「事実と違って面白くない」と反論をする構図。
これはけっこうよくあることで、多くの場合、感動した側は水を差される。

今回は俺が「感動した側」だったけれど、逆の立場になることもしばしばある。
たとえば、黒子のバスケという漫画。

俺はバスケをやっていたからわかるんだけど、あれは正直メチャクチャである。
あんなバスケをやる奴(例:青峰)がいたら、キセキの世代だろうとなんだろうと、絶対試合には使えない。

当然、黒子のバスケの話題になったら

「あんなの現実ではありえない。とんでもバスケ漫画だ」

と言ってしまう。
これはよく考えてみると、黒子のバスケを楽しんでいる人に水を差してしまっているんじゃないだろうか。

で、今、俺が改めて思うのは、「感動した」という人に対して「事実はこうだから~」とかいう必要はないんじゃないか、ということだ。
それが仕事であるならば、事実をたしかめ、裏付けをとった上で調査しなければならない。

でも、普段の小説や映画で大切なのは「感情の振れ幅」と「そこから何を得るか」だと思う。

で、小説や映画から「何を得るか」というのは、「正しい知識」とは限らない。
たとえば、黒子のバスケを見て感動した子供がいたとする。

それに対して、

「いや、アレは実際のバスケとは違って、あんなんに憧れるお前はアホや」

なんて言ってしらけさせるのではなく、

「じゃあ、あんな風になれるように練習してみよう!」

という。

そうすると、たとえ黒子がとんでもないバスケ漫画だとしても、それに憧れて必死に練習した子供が、将来のすごいプレイヤーになるかもしれない。
スラムダンクとか、キャプテン翼もそうだったよね。

さらに言うと、よく「事実と違う」という批判される「竜馬がゆく」。
その「小説の竜馬」の生き方に人生を変えるくらいの影響を受けて、日本一の起業家になったのが孫正義だ。

ひるがえって、俺の話に戻ると、「永遠の0」を観た後は、前は興味がなかった零戦や戦争についての本が目につくようになり、よく本を読むようになった。
「感動した体験」から入って、そこから世界が広がることもけっこうあるものである。

興味があれば、「正しい知識」というのは自然に集まってくるものだ。

逆に、いきなり「事実はこうだ」と教えられた高校の日本史の授業。
あの授業から広がった世界は何もない。
「歴史は退屈でつまらない」という嫌なイメージだけが残った。

人を動かすのは感情だ。
人間は感情駆動なのである。

だから、「何かを好きだ」とか「何かに感動した」という人に、「意味がわからない」「正しい知識の無いガキ」と頭から否定するようなことは、できるなら避けた方がいいんじゃないだろうか。

なぜなら、そこにあるのは「相手に何かを教えてあげたい」という善意ではなく、「優越感に浸りたい」とか「相手を否定したい」という気持ちだから。

それよりも、人の感情を大切にするという選択肢もあるのではないだろうか。

で、もし本当に指摘が必要な場面があれば、個人的にはなるべく愛のある指摘をしたいと思っている。
自分の意見の押し売りではなく、それが相手のためになることを考えて。

<追記>
「愛のある指摘」と書いてふと思ったのは、otchy210さんが、以前自分の拙いプログラムを指摘して添削くれたことがあって、それは本当に嬉しかった。
リンク→情熱プログラマー「一番の下手くそでいよう」に思うこと。
これは「愛のある指摘」の良い例だと思う。
(※注※ 愛があるとは、ホモ的な意味ではなく、「優しさ」的な意味です)

で、今回の件。
せっかくコメントしてくれた方をあまり否定したくはないけれど、やっぱりコメントの方の「永遠の0」の感想記事を読むと「あんなので感動するのは戦争を知らないガキ」みたいな論調だし、
「私の感想記事を見てください、あなたとは違います」みたいに言われても、やっぱり心に響かないんだよね。

やってることは同じ「指摘」でも受ける印象は全然違うんだな、と改めて思いました。

シュート!懐かしい!
たしか、久保さんの伝説の「ゴール・トゥ・ゴール」は7巻だったと思う。
いやぁ、あのドリブルには泣けたね。高校の授業中にマジ泣きした。
まさか死ぬとは思ってなかったけれど、久保さんの死からシュート!は俄然面白くなった。
久保の遺志を背負って闘うサッカー漫画になった。
そして、その伝説が始まるのが7巻なはず。今度もう一回読んでみよう。

黒子のバスケ 1 (ジャンプコミックス)

黒子のバスケ 1 (ジャンプコミックス)

黒子のバスケは最初はなんだかイマイチだったけど、青峰が出てきたくらいからちょっとずつ楽しめるようになってきたよ。
でも最近はまた停滞気味です。赤司編終わったらどうするんだろう。