感謝のプログラミング 10000時間

たどり着いた結果(さき)は、感謝でした。

その炎上に、信念はあるのか。

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ブログをやっていると、色んな所で色んな形の炎上を目撃することになる。
基本的にはブログは個人が自由に書くものだし、どんなスタイルで書いてそれがどう炎上しようと、個人の自由だ。

ただ、いち読者として遠目で炎上を観察している立場から見ると、「信念のある炎上」というのは見ていて気持ちがいい。

資本主義の最前線で働いてきた人が、市場の力を信じ、市場に評価されるようになりなさい、と論じる。
そこには、資本主義への絶対的な信頼と、個人の経験に基づく強い信念を感じる。

社会の理不尽についてどうしても納得できない人が、「成長」や「やりがい」の言葉の裏で支払われない報酬に対し疑問を抱き、何度も何度も問題提起する。
そこには、労働の対価は金で支払われるべきだ、という信念を感じる。

あるいは、技術的に極めて優れたエンジニアが、待遇の不満から次の職場に転職する時。
その想いを記事にして世の中に公開する。
そこには、尖った技術で身を立てていきたいという信念と気骨を感じる。

いずれも見ていてとても清々しく、全然嫌な気持ちにはならない。

これらに対して、はてなブックマークなどでは辛辣なコメントがつくこともあるが、これはアンチというか、反対意見の表明のようなものだと思っている。

「お前はこう言ってるけど、俺はそうは思わない」

という反対意見の表明だ(たまに悪口を書く方もいるけれど)

一方で、信念なき炎上というか、ただ人を不快にさせることで人の怒りに火をつけて、炎上してしまうパターンもある。
そこにつくコメントは、反対意見というよりはヘイトである。

そういう炎上は、見ていて少し苦しい気持ちになる。
中学のときに、廊下で喧嘩している同級生を見て思わず目を細めてしまったような、そんな気分になる。

そして、その裏に「金」が見え隠れすることも、少し見苦しい。

人様のブログのスタイルについて何か意見を表明するつもりは全くないけれど、
個人的には、信念なき炎上は、金と引き換えにするには失うものが大きすぎると思っている。

悪口を言われても気にしないっていう人もいるけれど、なんらかの形で精神が削られてしまうはずだ。

積み重ならない一過性のページビューや、それに伴うささいな広告収入と、心の平穏を引き換えにしてはいけない。

ブログは農業だ。
畑を少しずつ耕して、いつも見に来てくれる人と採れた実を分け合うような、そんなブログにしていきたいと思っている。
そして、せっかく耕した畑を燃やしてお祭りみたいに人を集めることはなるべくしたくないなぁ、とも。