感謝のプログラミング 10000時間

たどり着いた結果(さき)は、感謝でした。

ページビューが全てではない

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ブログをやっていると、否が応でもページビューは気になるものだ。

先月に比べて、今月はアクセスアップしているだろうか。
今日はページビューが少なくなったけど、何があったんだろう。
他の人はどれくらいのページビューなんだろうか。

とか、どうしてもページビューは意識してしまう。
それはある意味「ブロガーの性」のようなもので、仕方ないことだと思う。


話は少し変わるが、最近「プロブロガー」なる者の存在が気になっている。

別にパチンコで稼ぐ人もいるんだから、ブログで稼ぐ人がいてもいい。
稼ぐこと自体は問題ではないのだが、どうも(プロ)ブロガーはページビューを「力」と勘違いしているフシがあるように思える。

ページビューが多い自分はすごい、自分は影響力のある人物だ、と。

影響力とページビューに相関があるのは正しい。
問題なのは、ページビューが増えるにつれて、他人に対してやたらと偉そうになったり、挑発し始めるような人が出てくることだ。

特に、以前はサラリーマンのヒエラルキーに組み込まれ抑圧されてきた若い人が、仕事を辞めてプロブロガーになった時、この傾向は顕著になる。
突如サラリーマンのヒエラルキーから開放され、年齢も経験も関係ない平等なインターネットの世界で生きていくようになると、そこで見える世界を過度に肯定化するようになる。
せっかくサラリーマンのヒエラルキーから抜けだしたのに、今度はページビューのヒエラルキーに組み込まれているのは皮肉なことだ。

そしてそれに伴い、ページビューを稼げば自分は偉くなったように勘違いしてしまうのだろう。

「ページビューを稼ぐ自分はすごい」
「ネットで『自分の力で』稼ぐ自分はすごい」
「『自分の名前で』売っていける。ブログってすごい」
「ツイッターのフォロワーが増えてる俺すごい」

具体例を出すのは恐縮だが、うさみのりやさんとか、ブログで注目され始めてから人が変わってしまったように見える。
あくまで文章から感じ取れる印象だけど、最近のように田村耕太郎さんをおちょくるようなことは、以前の官僚時代にはやらなかったはずだ。

ブログばっかりになると勘違いしがちだが、ページビューはこの世界を構成する要素のごくごくごく一部に過ぎないのだ。
プロブロガーなる人達は、その辺のバランス感覚を持って世界を見る目が欠如している。

世の中の大半の人にとって、ページビューなんてものは、
「ページビュー○○万?だからどうしたww」
程度のものなのである。

自分のパソコン越しに見る世界と数字がこの世の全てのように勘違いし、偉そうになり、ページビューに振り回されるようになる。
繰り返すが、世の中の99.9%の人にとって、ページビューなんてどうでもいいことなのだ。

その辺の「世間一般」と「ブロガーの世界」の乖離をちゃんと意識していないと、「ブロガーの世界の常識」を「世間一般の人」に押し付けがちになる。
そこで軋轢が生まれる。世間一般の人はブロガーを「常識知らずのバカ」と罵り、ブロガーは一般人を「旧世代の価値観に囚われたアホ」と蔑む。

ブロガーは尖った意見を発信してページビューを稼ぎ、お金を稼ぐのが生きる道なのかもしれない。
それでも、「ブログだけやってる人」がどんどん世間とずれていっていることをちゃんと意識しておかないと、いつまでもその高まった自己承認欲求を満たす結果にはならないだろう。