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感謝のプログラミング 10000時間

たどり着いた結果(さき)は、感謝でした。

若いうちから評論家になってはいけない

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ツイッターのタイムラインを見ていると、不思議な気分になる。
同い年くらいの2人の人間がいて、両方とも肩書は「ソフトウェアエンジニア」。
違っているのは、片方が起業経験者らしいということだ。
今は何をやっているのかはちょっとよくわからない。

同じソフトウェアエンジニアでもツイートの内容はずいぶん違う。
一人は、

「■■でハマった」
「今日は○○のプログラミングをやる」
「Git Hubにコミットしなきゃ・・・」

みたいに、今やっていることとか、行き詰まったことなどを中心にツイートしている。

もうひとりの方は、

「エンジニアとはこうあるべきだ」
「日本とアメリカの違いは○○だ」
「△△だからダメなんだ」
「ひたむきにプログラミングし続けた日々を思い出した」

と、技術のことではなく、仕事論のようなツイートをしている。
こうやって並べてみて、率直に思うのは、後者の人はもう「終わって」るんだなぁと感じる。

若いのに、評論家になってしまっている。
何かを批判したり、考察することはもちろん悪いことではない。

でも、そればっかりになってしまう人がいて、一度「評論家」になってしまった人は、「自分の経験」をネタにしながら、現実を批判し続けなければならない。
日本のことを批判し続けるメイロマさんみたいに、自分の経験を切り売りして、批評し続けなければならない。

そういう風になってしまったら、もう成長できないと思うんだよね。
成長っていうのは、新しいことができるようになるっていう意味ね。

なぜかというと、いつも後ろ向きで否定的だから。
頭の中のロジックが

・現状はこんな問題がある→俺にできる(できるようになる)ことはこんなことだ→それで問題を解決しよう

ではなく、

・現状はこんな問題がある→俺にはこんな経験がある→それに照らし合わせると、やっぱり現状は間違っている

という構造になっている。
問題を解決しようじゃなくて、問題を指摘していくような「芸風」になってしまっている。

前向きに、批判だけじゃなく、自分で汗をかいていかないと成長なんてできないよね。

ツイッターとかブログでは、批評家になってそれっぽいことをドヤ顔で言うと、それを持ち上げる人が集まるんだけど、
そうやって崇拝されている様子を見ても、自分は批評家になりたいとは思わない。

いつまでも自分で悩みながら、手を動かすプレイヤーでありたい。