感謝のプログラミング 10000時間

たどり着いた結果(さき)は、感謝でした。

なぜ僕は、「超高速開発」に偏見を持ってしまったのだろうか。

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大学の先生はこう言った。

「人は誰もが偏見を持ちます。

思考が偏らない人はいません。私も、あなた達もです」


超高速開発」というものがネットで話題になった。

超高速開発というのは、ざっくりいうと、開発作業の自動化により、ノンプログラマー(プログラミングがあまりできない人)でも高品質なシステムを構築する仕組みのことである。

ネーミングセンスはさておき、超高速開発のリンク先の写真を見て、僕は一瞬こう考えてしまった。

「この人達はどうせ、自分で手を動かすこともない方々だろう」
「開発者の立場に立って考えることなんてできないんじゃないか」

もちろん、これは完全な偏見だ。
会ったこともない人を写真だけで判断し、斜に構えてしまうのは人間として正しい姿勢ではない。

でも、なんで僕はこの人達の写真を見て、上に書いたような偏見を持ってしまったんだろう?


大学の先生はこう続けた。

「偏見を持つのは避けられない。
でも大事なのは、自分の偏見に気付き、自分の偏見を意識して、調整することです。中庸を目指すことです」


僕がこの人達に偏見を持ってしまった理由は簡単で、自分がこれまでの環境で見てきたご年配の方々が皆、手を動かさない人達だったからだ。
自分が見てきた景色によって、偏見は形成される。

そして、意識しなければ、偏見をあたかも常識であるように錯覚し、それはレッテルを貼る行為につながる。

韓国人だから、意地汚い。
中国人だから、不潔だ。
東京の女は、年収の話ばかりだ。
SIerの社員は皆、丸投げしかしない。
etc...

偏見がやがて常識となり、皆が共通に持つ常識は、社会通念となる。

それでも、その常識は決して「個人」にあてはまるわけではない。
人間はもっと多様で、組織の中には色んな人がいて、一人ひとりに個性がある。

それなのに、意識しなければついレッテルを貼って人を見てしまう。
それはあまりにも、「目の前の個人」に対して失礼なことなんじゃないだろうか。

さらに言うと、ある個人に対しても、「この人はダメだ」と一回思ってしまったら、その後の全ての行動がダメに見えたりしないだろうか。偏って判断してしまいがちではないだろうか。

偏った見方は、フェアな判断を妨げる。
アウトプットを、行動を正しく判断することができなくなる。

偏見を持つことは避けられない。
しかし、それを修正することはできるはずだ。

だから日頃から「偏見を持っている自分」を意識することを習慣づけ、公正に人を見れるようになりたいと思っている。