読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

感謝のプログラミング 10000時間

たどり着いた結果(さき)は、感謝でした。

「死後にどこに行くのか」よりも「死後にどれだけの人に思ってもらえるか」の方が、僕は怖い。

<スポンサーリンク>

宗教と英語

「キリスト教・ユダヤ教・イスラム教の知識と英語を身につける」という本で、英語の勉強をした。
英語の勉強をしなきゃいけないと思っているけれど、"英語だけ"の勉強に時間を使うのはもったいない、と思っている自分にぴったりだったので、この本を購入した。
日本には馴染みが薄いけれど、世界的に見ると、宗教は生活に非常に強く根付いている。

キリスト教・ユダヤ教・イスラム教の知識と英語を身につける

キリスト教・ユダヤ教・イスラム教の知識と英語を身につける

本にも書いてあるのだけれど、世界にはキリスト教徒が22億5400万人、イスラム教は15億人、仏教は3億8400万人の信者がいて、これらすべてを足すと41億3800万人となる。
世界の人口は67億5000万人なので、全世界の61.3%がこれら三大宗教の信者ということになる。

たとえば、将来、多国籍企業で働くとする。
すると、周りの外国人の半分は何かの宗教を信仰している可能性が高いということになる。
宗教を知るということはきっと、その人の信じているものを知ることになるだろう。

そしてそれは、その人自身を理解する手助けになるはずだ。

宗教の始まりと死について

宗教の始まりは「死んだら人はどこへ行くんだろう」という疑問からだったという。
死への恐怖。どうなってしまうのか。救いはあるのか。という疑問から、宗教は生まれた。
宗教の歴史は古い。
60000年前のネアンデルタール人の骨から多数の花粉が発見された。これはネアンデルタール人が既に、「死」に対する特別な想いがあったことの裏付けに他ならない。野生の動物は、死んだ仲間に花は添えないはずだ。

僕の個人的な考えとしては、「死んでからどこへ行くのかよりも「死んでから誰に思い出してもらえるだろうか」ということに対する恐怖がある。
死は平等だ。
誰にでも訪れる。
道端のホームレスにも、受刑者にも、スティーブ・ジョブズにも。
そこに人間の差はない。

しかし、死んだ後に誰に想ってもらえるかということに、その人の人生が出る。
そして、人の想いというのは、案外長くは続かない。
決して忘れないと言ってた昔の彼女が、新しい彼氏をあっという間に作ってしまうように。

まだ会ったことの無い、大学の同期が亡くなったという。
僕自身は名前も知らない。
でも、僕の友達はその人と飲みに行ったりする関係だったようだ。

死んだあとに、(僕の)友人はツイッターで、
「なんでだよ・・・」
「本当に寂しい」
などとツイートしていた。それを見て、胸が痛くなったものだ。

なのに、その3日後には会社の愚痴をツイートしたり、週末の旅行の話をしていたり。
それを見て、人の死って簡単に忘れられてしまうものなのか、と思った。
親しい恋人か親以外にとって、人の死というのは、思っている以上に軽いものなのかもしれない。

そして、自分がもし死んだとしても、きっと友人の多くは、週末は旅行に行くし、彼女とデートに行ってしまうだろうと考えた。

死んでどれだけの人に哀しんでもらえるか。覚えていてもらえるか。

そこに人生の、生き方の差が出るのだろう。
その差が出てしまうからこそ、僕は「死んでから」が怖いのである。