感謝のプログラミング 10000時間

たどり着いた結果(さき)は、感謝でした。

他人の痛みを感じるということ。その気持ちを育てるということ。

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こんな記事を読んだ。

「社会人1年目だけどもう会社やめたい。」
http://anond.hatelabo.jp/20130316230311

ざっくり要約すると、
ドライな職場環境で、人間関係は希薄。
大学時代と違って女の子との出会いもない。
プライベートの時間は削られ、特に楽しみもない毎日に嫌気がさして、社会人1年目だけどもうやめたい。


はてなブックマークのコメントを見ると

「甘えるな」

「自分で辛い原因を作っている」

「学生気分が抜けていない」

などのコメントが目立つ。
はてなブックマークに限らず、ネットの住民達はこういう記事に対しては厳しい。
たしかに僕から見ても、やっぱり愚痴のように見えるし、甘えてるようにも見えるし、単なる釣りのようにも見える。
でも、あえて釣られてみるならば、このような弱い人間に対して、もうちょっと想像力を働かせてもいいんじゃないかと思う。

想像力というのは、相手の気持ちを考えてみるということだ。
「甘えだ」「社会をなめるな」
と言う前に、もしかしたらネットの向こう側に苦しんでる社会人1年目がいるんじゃないかな、と想像してみるのである。

僕が好きな文章に司馬遼太郎さんの「21世紀に生きる子供たちへ」という文章がある。
少々長くなってしまうが、特に印象に残っている部分を引用したい。

さて、君たち自身のことである。
君たちは、いつの時代でもそうであったように、自己を確立せねばならない。
───自分に厳しく、相手にはやさしく。
という自己を。
そして、すなおでかしこい自己を。
21世紀においては、特にそのことが重要である。
21世紀にあっては、科学と技術がもっと発達するだろう。
科学・技術がこう水のように人間をのみこんでしまってはならない。川の水を正しく流すように、君たちのしっかりした自己が科学と技術を支配し、よい方向に持っていってほしいのである。
右において、私は「自己」ということをしきりに言った。自己といっても、自己中心におちいってはならない。
人間は、助け合って生きているのである。

私は、人という文字を見るとき、しばしば感動する。斜めの画がたがいに支え合って、構成されているのである。
そのことでも分かるように、人間は、社会をつくって生きている。社会とは、支え合う仕組みということである。
原始時代の社会は小さかった。家族を中心とした社会だった。それがしだいに大きな社会になり。今は、国家と世界という社会をつくりたがいに助け合いながら生きているのである。
自然物としての人間は、決して孤立して生きられるようにはつくられていない。

このため、助けあう、ということが、人間にとって、大きな道徳になっている。
助け合うという気持ちや行動のもとのもとは、いたわりという感情である。
他人の痛みを感じることと言ってもいい。
やさしさと言いかえてもいい。

「いたわり」
「他人の痛みを感じること」
「やさしさ」

みな似たような言葉である。

この三つの言葉は、もともと一つの根から出ているのである。
根といっても、本能ではない。だから、私たちは訓練をしてそれを身につけねばならないのである。

その訓練とは、簡単なことである。例えば、友達がころぶ。ああ痛かったろうな、と感じる気持ちを、その都度自分の中でつくりあげていきさえすればいい。
この根っこの感情が、自己の中でしっかり根づいていけば、他民族へのいたわりという気持ちもわき出てくる。

君たちさえ、そういう自己をつくっていけば、二十一世紀は人類が仲よしで暮らせる時代になるのにちがいない。

はてなブックマークやツイッターで「社会人1年目だけどもう会社やめたい。」人に対して、厳しい批判をしている人は、今までは一度も愚痴を言ったことがない人なのだろうか。
一度も会社をやめたいと思ったことが無い人なのだろうか。

そういう人の頭のなかにあるのは「自分も辛いけど辞めずに頑張ってるんだ。文句言わずにやってきたんだだからお前も頑張れや」という理屈なんじゃないだろうか。

たしかに、ツイッターなんかで愚痴りまくってる人を見ると、「いやいや、みんな頑張ってるんだからさ、文句ばっか言うなよ〜」と思うこともあるけれど、そう思ってしまうたびに僕は司馬遼太郎さんの文章を思い出して、頭の中でこう変換する。
訓練をする。

その訓練とは、簡単なことである。
例えば、友達が愚痴を言う。ああ大変だったろうな、辛いんだろうな、頑張ったことを理解してほしいんだろうな、と感じる気持ちを、その都度自分の中でつくりあげていきさえすればいい。

この根っこの感情が自己の中でしっかり根づいていけば、他の人へのいたわりという気持ちもわき出てくるはずだ。

他人をいたわる。
痛みを感じる。
やさしさ。

僕にまだまだ足りないものだし、ネットの中にも足りないものだと思う。
だからこそ、これからも訓練を続けて、他人に優しく、自分に厳しくできる心を育てて行きたいと思っている。